空手衣
空手衣
弟子の稽古を見守る喜屋武朝徳
弟子の稽古を見守る喜屋武朝徳
琉球王国時代の唐手には道衣が無かった、というのが定説になっている。かつては、空手の稽古は上半身裸で行われた。これは、戦前の空手写真などを見れば明らかである。『拳法概説』(昭和4年)に紹介されている喜屋武朝徳の説明によれば、裸で稽古する理由は「皮膚を強靱に鍛へると共に力の配合を明確に意識せん」がためであるとされる[14]。喜屋武は、これは幼少の頃からの習慣であると述べているので、少なくとも明治初期から、おそらくは琉球王国時代からの習慣であったと考えられる。
この習慣は首里手に限らず、上掲の写真で宮城長順と許田重発が上半身裸で稽古していることからも、那覇手も含めた沖縄一般の習慣であったのだろう。
現在の空手衣
現在の空手衣
今日の空手衣は、1922年、嘉納治五郎のプロデュースで船越義珍が講道館で演武、指導した時に、義珍が柔道衣を借用したことがその起源である。すなわち、空手衣の元は柔道衣である。このように一般には別々と思われている柔道と空手道ではあるが、道衣において共通点が存在しているのである。柔道衣と空手衣がいつ分かれたかは明確ではないが、昭和31年(1956年)の『月刊空手道』創刊号に、すでに空手衣の広告が掲載されているので、戦後しばらくしてか、あるいはすでに戦前から空手衣は誕生していた可能性がある。動作も稽古内容も柔道とは違うため、柔道衣に徐々に改良がなされ、今のような空手衣が誕生した。
空手衣の構造は今日、伝統派空手とフルコンタクト空手において、おおむね次のような相違が見られる。(詳細は流派・会派により異なる)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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